ウィスパー

    小学何年生かのとき、かぜをひいて、何日間か声が出なくなった。しゃべろうとしても普通の声はでなくて、こそこそ声は出せたから、困ることはなかった。体も元気だった。ただ声だけがなかった。家にいると、親戚からでんわがかかってきて、母親がちょうど洗濯物を取り込んでいたから、でんわを取って、はいしらおでございます、と言おうとすると声が出ない。親戚はもしもーし、と困ったまま、私も電話でこそこそ声をだすのはなんだかおかしいなと思い、無言で勝手口にいる母へでんわを持っていく。そっかー、声が出なくなっちゃったの、かわいそうねえ、と受話器からもれる声を聞きなさがら、ぽっかりとシーツの取り込まれたあとの空の青さ。
    体は元気だったので、つぎの日は学校へ行って、体育の授業にも出た。たしかサッカーで、私はもともとボールを追いかける集団についていこうとしながら、いつの間にか置いていかれる子だったので、その日もぼんやりとして、意識の境界にいるボールとみんなと、そのさらに向こう側の小さいちいさい鉄棒の連なりを見ていた。誰かが話しかけてくるけど、こそこそ声で、こえがでなくなったの、と答えると、その後なんて言われたかは忘れた。その時、たまにのしかかってくる私はえらばれた子どもである、という感じを、特に強く覚えた。ちいさい私は、自分がえらばれるために演技をしていたのかもしれないし、そもそもこんなこと自体、起きていなかったのかも知れない。けれど夜、部屋にいてぽっかりと上空に部屋を浮かばせているとき、家々の灯りが、ほんとうは全部こちらを見ているかもしれないという底知れぬ恐怖、私が眠りに落ちるとき、いなくなった人々が成し遂げられなかったことを明日に引き受けるという圧、ほんとうに惨めで、誰よりも悲しく、誰よりも勇敢さを要請されている私の体は、いつかに声を失った私の体と、すこしの時間や空間を裏返しに束ねるようにつながっているとしか、思えないときがある。