つづく

 ひさしぶりに中央図書館に寄ろう、と決めて快特じゃなくてエアポート急行にのって日ノ出町で降りる。改札横のドトール名代富士そばに変わり完全に需要にマッチしたのを横目に見つつ、薬局のところには黄金町バザールののぼり。横断歩道の向こうに今は見えないけどミスドがあるのを私は知っている。ケンタッキーでビールとコーヒーを同時に並べながらビールを飲むおじさん。本日の舞姫、5000円女性割引3000円。ペットのトリミング学校のネオンサインは夜になるとツイン・ピークスのやつのように音を立てることも私は知っていた。ちょうどストリップ劇場のところからのぼり坂になって、そこを歩きはじめたところで気づいた。私はいつもどこかに行くために坂をのぼっている。実家は坂の上だし、小学校に行くのも上り坂の連続だった。中高も山の手にあった。いまひとりで住んでいる家も山の上。大学も上のほうにある。
 ・この出来事の30分ほど前、実家から駅まで歩いた時に、知っている場所に特有の重力を感じた
 ・いつまでも知っている場所について作り続けられない
 ・体がなだらかな山に沿う、体を山の形にしてその体を指差してなにかを説明する(イメージ)
 目が、ここと、別の場所に離れて見下ろした。(私は歩いていたはず)一気に向こう側を見た。向こう側がどうなっているかも私は少し知っていた。何回か歩いたり車で来たりしたことがあった。ぐるっと右側には競馬のなにかがあって、そのまま行くと県立図書館があって、カレー屋さんのところで降りていく道は右側がすごくわざとらしい装飾の結婚式場。脇をずっとのぼっていくとギャラリーがあって、私はそこで菅木志雄が石を並べたり石と紙にシールを貼ったりするパフォーマンスを見たことがあった。そのあともうそれがどこだか全くわからないが手すりのある階段の写真を撮った。結婚式場の道を降りていくと急にみなとみらいがあって、まず桜木町の駅の建物の映画のポスターが貼ってある壁。山にはでかいお寺が張り付いていて、なぜか友達と行ったときに工事中で崖に張り付いたこわい階段をとつとつ降りていった記憶があるけどそれが具体的にどの辺だったかは分からない。でもその時も見下ろしていた。ずっと下に民家の瓦屋根が見えた。あとぐるっと左はまず図書館がでかくて、そのさらに上には動物園があるけど入ったことはない。お寺に行った時はその辺の展望台のところに行って、友達と何枚かパノラマ写真を撮って遊んだ。そっち側の下に行く道は知らなかった。
 そのあと本を借りた。5階、人文科学のフロアーです。3階に行ったらたくさんのおじさんたちが新聞を読みまくっていた。友達と夏休みの宿題をやりに来て、たしか3階でやっていたら頭のおかしなおじさんが二人くらい来て図書館の人を困らせていたことを思い出した。
 ・動きの形だけじゃなくて具体的なイメージがあると圧倒的にやりやすくなる。そのものの形とかそれに対する心持ちではなくて、それが体に与える圧?というか力? 内側→外側じゃなくて、外側→内側 (イメージが自分の内部で作用し、身体を操作する のではなく、ものが自分に対して作用することによって、自分の新しい体のあり方を認識する。
<アルバイトに行く>
 そのあと横浜駅に戻って、中央通路から西口に出るエスカレーターが変わっていた。奥に空間ができてコインロッカーが並んでいるのが見えた。ドイツの駅に似ていると思った。金色の女の子の像があった気がするのは工事の壁で隠されていた。角のコンビニや、ジョイナスに行く通路は塞がれて、全然ちがう場所みたいだった。
<有楽町にエイリアンコヴェンナントをみに行った。映画館の場所はわかりにくかった。有楽町は前に来た時もたくさん迷って、施設のなかに施設が入れ子になっているからだと思った。TOHOシネマズ日劇までエレベーターで上がっていくと、鏡が無限に2つのエスカレーターと電気を反射していた。鏡がいろんな方向にあって、空間と像の境目がなくなっていた。手を伸ばすまで、そこが空間なのか像なのかわからなかった。>
<もうきっと忘れはじめていて、記憶の質が連続しないままで書き続けていくことはおかしい。日記を後から書いているみたいだ。でも、日記だってある程度振り返りつつ書くもののはずで、どのくらい遅れたらそれが嘘になるのか私にはわからない。でもこれはかなり大きい問題のはずで 知っている場所に引っ張られ続けていくしかない、と気づきつつ、その場所は物理的に遠くなってしまったというとき どこまで記憶を信じられるか?どれくらいまでそれを根拠にできるのか?そもそも、どうしてそんなに場所が重要なのか?なにより素朴なことに感動し、驚き、つくっているつもりだったけどそれはあまりにも自分の話でしかなかったかもしれないと思う。それでも実感はだいじで、だったらもう一度経験できたり、理論としてもう一度使えるような、という可能性にひらかれた可能性を作ること。
 横浜駅では、サンドイッチのセットが500円のやつを食べるためにコメダ珈琲に向かった。西口を出て、川沿いに歩いて、どこかで曲がって、コンビニや牛丼やさんが見えたらまたどこかで曲がる...ということを、なんとなく不安げだけれど私はちゃんと記憶していた。でも、妙に信じられなくなってグーグルマップで調べたけどやっぱり合っていた。いろんな時にこのあたりに来て、同じ景色の見えを経験して、それでいま私はコメダ珈琲に行けると思うとそれはすごいことだと思った。
 ・ものと体の付き合い方に対する意識の割合がおおきい方だと思う。手つきとか、ものの持ち方が変だし、うまく言えないけどバランスが取れていると思うときと、全然取れないときがある。あとは一連の動作の流れみたいなものがすごく強固に自分のなかにあり、それが崩れるときがあると急に不安になったりする。わからないけど、きっと日々のなかで歩いたり、生活の行為をしたりするのが、ふつうより多めに蓄積されているんじゃないかと思う。だから臆病だし、他人に体をあずけることがあまりにも怖い!